2017年12月3日日曜日

対話はいかにして展開するか



大袈裟なタイトルつけてますが
なんとなくのイメージです。

議論なら
自分の論が相手の論に
優っていることを如何に示すかに
まず注力するでしょう。

いずれの論にも完璧はありえないので
それぞれの弱点を補い、長所を止揚する
合意点を生み出すことを目指します。

この第2段階は、非常に難しく
止揚よりもむしろ、妥協に落ち着くことが
多いのではないでしょうか。

対話の場合は
そもそも、どっちが優れているかを
決することを目的としておらず
いずれの論にも、変容可能性があることを
認め合った上でないと、まず成り立ちません。

ともに考え、深めたいことがあって
それが問いの形で共有され
対話が始まる時点で考えていることを
出発点として、ともに変容しあうのが
対話ではないでしょうか。

つまり、対話の参加者は
自分自身の考えが、綻びていくことを恐れて
構えを固めてはなりません。

では、綻びながら深まるとは
どういう状態なのか。

まず自分の考えを表明します。
確固たるものではなく、変容可能性に対して
ひらけた考えです。

そこに相手の考えが示されます。
ひらけています。

ともに考えを受けとめあい
自分の考えとの一致点と相違点が
なんであるか、なぜそうなっているのかを
考えていきます。

少し遅れて
一致点が強化されながらも
相違点を受け止め、それをなんとか
自分の考えと並存させようとして
思考を巡らせます。

勝負事ではないので
自分の考えに組み込むのではなくて
自分の考えと並び立つためには
どう考えればいいかを考えます。

すると、より根源的に
考えざるをえなくなります。
ふたつの異なる考えに通底する
上位概念のようなものを想定していくことになります。

それがまた、表明され
受け止めあい、一致と違いとその理由が
考えられ、さらに上位概念を想定しようと模索します。

このような絶えざる営みによって
対話は深まりながら展開していく。
僕は、そう思っています。

自分の考えと違う考えを
栄養として取り込むことによって
自分の考えが深く成長する。
互いにとって取り込みあい、成長しあう場。
それが対話だと思います。

取り込むためには
自分の考えの構えを解き
綻びていくことを受け入れねばなりません。




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